その一報を知ったのは、市長随行業務で福岡市にいた時でした。すぐには被害の全容がわからず、さりとて、地軸を揺るがすほどの大きな地震である(らしい)とのラジオからの放送と、茨城にいる姉への電話が不通となっている状況から、「もしかしたらただ事では無いのかも?」と、SH市長、HT運転士と話しながら帰路に着きました。

  明けて12日、果たして「未曾有の大惨事」であったことを目の当たりにしたところですが、折りしも、その日は第4回ならねっ子まつりで、わが市役所演劇部が「杜子春」の舞台を披露する日でした。
  実行委員会としてもその決行の良し悪しを勘案したようですが、結局、”子どもたちのためのまつり”を中止とはせず、舞台演劇はもちろん、児童文学家「後藤楢根」特設コーナーをはじめとする、読み聞かせ、昔の遊び、懐かしい給食といった、さまざまな催しが繰り広げられました。
写真右手前は5歳の天才楽師
未来クラブの皆さん、いつもご支援ありがとうございます!
ならねっ子まつり演劇の定番となった子ども神楽。今回もNK団員のお子さん、ケン坊の太鼓の冴は健在でした。 無事に終幕したオールキャスト。市役所演劇クラブの人気、評判は、既に確固不動のものになっています。か?


  それにしても、今回の震災の凄まじさには言葉がありません。被災地で苦しむ方々に対する、言いようのない心の機微を、3月19日の朝日新聞の「天声人語」が著述していました。

  「失意の胸には 誰も踏み入ってはならない。 自身が悩み苦しんだという よほどの特権をもたずしては」 エミリー・ディキンソン)

  ・・・げに、自身が抱く、日頃の悩みや苦しみ、憤りの何と浅いことか。 人智を凌ぐ、自然の力に恐怖したこの日の出来事は、日本という国が存在する限り、語り継がれる史実となるのでしょう。

  そんな中、心緩和する出来事もありました。 被災地となった宮城県登米市迫(はさま)町は、合併前の挾間(はさま)町時代に交流のあった自治体で、小生も10年前、太鼓の演奏に訪問し、大変お世話になりました。

  震災の日から、わが相棒のSY秘書が、携帯電話番号やメールのアドレスを交換していた、旧迫町出身の登米市職員OSくんに連絡をとっていたのですが、ようやく3日後に、彼から(大分の挾間町に縁ある人たちは)無事であることの朗報が届きました。
  これにより、両市長が電話対談を行うに至り、当市防災安全課HM氏らの努力もあり、救援物資を独自ルートで搬送することができました。
どうか、平穏な日々が訪れますよう。  '   OSくんによれば、海に面していない登米市は津波の被害は免れたものの、建物はほぼ壊滅し、甚大な被害を受けた隣の南三陸町から避難される方々の受け入れ等で昼夜を分かたず奔走しているとのことで、当分は本当に大変な状況です。

  生存者の救出を第一の任務とし、由布市からも出動した大分県精鋭の緊急救援部隊は、被災地の、おびただしい数のなきがらと惨状に、艱苦に耐えながら帰還しました。

  「何かしてあげたい!」と、世界中が浮き足立っている現在ですが、逸る気持ちはとりあえず少し抑え、今後の、息の長い支援を行っていくことを、小さくてはかない、けれども煌めきつづく命の尊厳とともに考えて行きましょう。

                   (2011.3.21)