「子供たちを救え!」未曾有の大捜索隊集結す

  4月30日から長男がインフルエンザA型を発症。 翌31日の夜、 看護のため隔離していた実家に、 消防団4部(北方地区)NY部長から「児童、幼児3名行方不明。総員集合!」との連絡が入りました。

21時25分

21時40分

22時35分

 0時20分

 2時00分

 2時15分

 5時00分

 6時00分


 7時25分

 8時00分
  急ぎ自宅へ戻り、消防服を着衣。ひとまず役場総務課へ。

  篠原地区を捜索する4部と合流。大分川沿いを中心に3名の捜索にあたる。この頃からマスコミ各社が移動中継車で続々と到着。

  捜索場所を行方不明児自宅周辺に変更。JR久大線の線路沿いや陣屋の村周辺を捜索。

  篠原地区にある乳飲料製造工場へ移動した本部に参集。再び篠原地区を徹底的に捜索する作戦を行う。

  捜索を一時休止。本部は、捜索再開時に陸上自衛隊および県警ヘリコプターの出動を要請。

  帰宅し入浴。眠ってしまっては5時には起きられないと判断するも、1時間ほど記憶が無いのは、たぶん眠ってしまったと思われる。

  朧な精神状態から覚醒、心配して起きた妻が作った粥を啜り、バイクを駆って本部へ。

  捜索隊に、陸上自衛隊員約400名が加わる。水先案内役として、大分川を捜索する部隊に随行する。このとき、県警ヘリは上空を旋回し、行方不明の子どもたちの名を連呼する。

  「発見」の第一報。その場で待機。程なく3人の無事を確認した旨の連絡を受ける。

  通常業務のため出勤(殆んど仕事にならず)。

“10才と6才、4才の子ども。 14時くらいから家の裏山へ遊びに行った。 17時前に篠原地区で、「助けて」という子どもの声を聞いた人がいるらしい。”

  集まった消防団員は、 これだけの情報で、 水力発電所がある篠原地区を午前2時まで不明者を探し続けました。 奇しくも、 同じ年齢構成の子ども(あと1才児がいます)をもつ小生としては、 4才児を含む子どもたちが、 自宅から2キロメートル以上離れた所まで遊びに行くとは考えがたいものがありました。

  とはいえ、 消防団としては、 篠原地区での唯一の目撃情報を頼りにするしかなかったのでした。

  山を歩き、川を下り、 疲労がピークにさしかかった午前2時、 夜明けに再開するとして捜索は一時休止となりました。

  行方不明者の捜索は3度目ですが、 消防署と警察、 そして自衛隊(半端じゃない数!)やヘリコプターまで動員する程のものは初めてでした。

  ・・・・・何はともあれ、無事に保護されたことが判った時には涙が出そうなほどに感激しました。

  何しろ、夜の捜索を断念した際は、 皆で最悪の結果を覚悟していましたから。(10才の女の子は長女と同じクラス。基地づくりや探検の好きな、元気で活発な子だそうです)

  それにしても、 2時に出動要請し、 6時前には大部隊が現地入りしていた自衛隊。プロだからと言ってしまえばそれまでですが、 卓越した捜索の術や手際の良さには感心させられました。

  ん、 待てよ。 我々だって行政のプロ。 常に住民から感心されるような仕事をしたいものです。''ま、それはさておき、 元気な子どもたちは'これに懲りず、もっともっと探検や冒険をしてもらいたいものです。'(迷っても、必ず消防団のおじさんたちが探し出してあげるからね・・・?)

     (2005.4.1)

  同じ4部のIM君は、こういう時に案外考えなしの行動をとってしまう小生をいつも見守って(監視して)くれる。



深夜の山や川を随分歩きました
彼らも一晩中大変でした   移動中継車で、マスコミ各社が張りつきのリポートをしていました。

  小生たち「川捜索隊」に目星をつけていたところは、「発見」の報が遅れましたね。


実は悲鳴を上げてる隊員もいましたが
  両手間隔で1列横隊を組み、一斉に崖や藪の中へ突入する自衛隊員。(女性隊員も結構多かった)

  子どもたちの救出後に、某隊員から思わず出た一言、「久住山なんかの遭難救助に比べたら、天国みたいな仕事やったな~♪」ですと。



 上述の更新をする間も無く・・・                          '

  4月3日午後4時頃。 これまた北方の実家に居ると、 遠くからサイレンと鐘を打ち鳴らす音が・・・。

  「火事か!?」と庭に出てみると、 ちょうど大分地域消防署の消防車が、 現場へ急行するのが見えました。 と、その時、 小生に気付いたGK消防士が、 マイクで 「 由布川保育園で火災 」 と伝えてくれたのです。

  たまたま実家に置いていた消防服に着替え、 ポンプ積載車の格納庫へ急ぎ、 偶然落ち合ったNY部長とともに火災現場へ。 そこはまだ消火活動を始めたばかりのタイミングで、 久しぶりに、紅蓮の炎と、暗澹たる灰黒色の煙が立ちはだかる最前線に身を投じることになりました。(描写が大げさ?いえいえ、本当に大変だったのです)

  空気が乾燥している上に、 折からの強風で、 なかなか火の勢いは弱まらず、 広い保育園舎を全焼、隣接した民家を半焼させ、 やっと火は収まりました。

  年に1度、 あるかないかの有事が立て続けに起こり、 3度目は地震なのか?と、'恐れ気な心を抱かずにはいられません。   '(2005.4.3)