しばらく放っておりました。久しぶりにわがサイト(EasyHome)を開きました。



  去る11月23日父が他界し、小生、多事多端な毎日を余儀なくされておりました。

  その日、未明に下顎呼吸が始まり3時間後、妻子、孫全員が見守る中、強い絆で結ばれていた人が駆けつけるのを待っていたかのように、兄(小生にとっては伯父です。)の到着5分後に、静かに、涙をひとしずく流して息を引き取りました。
  ほぼ寝たきり状態になってからは、本人の希望により在宅介護を行っていましたが、在宅医療専門の先生や訪問看護師のバックアップを受けていたにも関わらず、その大変さに閉口いたしました。
  それでも、東日本大震災で帰省した元看護師の姉をはじめ、なんとか家族で力を合わせ、父絶命のその時まで手を尽くすことができました。

  小生、半世紀を生きてきて、喪主などという経験は初めてで、様々にして膨大な諸手続きに、人が亡くなって本当に大変なのは葬儀が終わってからなのだ、ということをこの歳で知りました。
  しばらくして遺言状が見つかり、「も、もしかしたら遺産のことが・・・!」と、家族を集めて開いたところ、葬儀に呼んでほしい友人の名前が書いてありまして、既に終えた葬儀に、何人かお呼びできていないことが判明し、最後まで至らぬ息子でありました。(遺産は全然なかったけど、借金もなかったことは幸いでした(^o^)。)

  父は、生まれてすぐに父親(小生にとっては祖父です。)を病気で亡くし、母親と8人の子どもという家庭環境で貧困な少年時代を送りました。
  15の歳で社会に出てからも、学歴のなさゆえに大変な苦労を重ね、晩年は、囲碁にカラオケ、料理教室と、それまで経験のなかった「楽しい人生」を取り戻そうと一生懸命だったようです。
  親孝行らしきことは何一つ出来ませんでしたが、厳格で生真面目な性格と、何事も器用にこなす才能を受け継がなかった小生の面倒を、よくまあ看てくれたものです。


  足らぬ孝行、許せよ親父、苦労した分ゆっくり休め。 今までありがとう。      (201312.23)




↑国鉄一筋だった父の棺に子ども(孫)たちが描いた絵。この汽車で、心置きなく旅立つことができたかなぁ・・・。

棺おけに絵が描ける時代になろうとは!