せめて「絵」の中だけでも晴れ着を・・・
2008年5月に完成した我が家で、初めて迎える新年です。

 2008年は小生にとって、稀に見る激動の年となりました。
 自宅の新築、総務課への異動、秘書係ゆえその渦中に身を置いた由布市を襲う事件や事故の勃発、14年続けた陣屋太鼓からの辞去・・・。                 
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  それにしても、何が起こってもおかしくない、何とも危うい時代になってしまいました。大晦日、家族と過ごしながら、願わくは来年もこうして新年を迎えたいなどと、しみじみ思った次第です。                     '

  2009年が、心安らかに
 暮らせる年となりますように
 いつまでカメラの前に立ってくれるのでしょう?

  12月31日、(かなり遠い)親戚のおばあちゃんが亡くなりました。その7日ほど前に彼女は100歳のお誕生日を迎え、市長と供にお祝いに行ったばかりでした。

  市長は、100歳以上の方の葬儀には 出来る限り参列することにしており、本年最初の運転兼随行業務は、1月3日に執り行われた葬儀への参列となりました。'生まれながらに決まっているとされる寿命ですが、明治-大正-昭和-平成 を生きるよう定められたタツエ媼、100歳の大往生でした。

  その前日、1月2日にはU中学校時代の同級会が開かれ、消息を絶っておいたにも関わらず、いかに調べたか小生の実家に連絡をしてくれ、思わず「出席」の返事をしてしまいました。国鉄職員という父親の職業上、絶えず県内を転々としており、これまで同窓会の類の連絡は一切無かったのです。

  30年を超える時を経て、姿形が一変してしまい、いったい誰なのか判らないのはよく有ることですが、「大きくなったなあ・・・」などと言われるのはどうなんでしょう? (確かに小さかったけど) それでも、「描いてもらったイラストを未だ持ってるのよ。」 と言ってくれた人もあり、楽しく懐旧の談に加わることができました。

  また、別の同級生から、「子どもが11人、孫が5人いる。」という話を聞き、驚かされました。結婚以来23年間で、1年おきに出産したという奥方の頑張りをこそ称えるものですが、たかだが4人の子どもくらいで音を上げることの無いよう、小生も頑張らねばなりません!(くれぐれも、子の数を増やすということではないですよ)
     (2009.1.3)